テレビのコメンテーターが病み苦しむ姿

最近テレビのワイドショーが、やたらと芸能ニュースより政治解説に力を入れているのが気に掛かる。

毎日毎日、政治記者や弁護士の肩書きを持つ者達を、ワイドショーのレギュラー・コメンテーターとして出演させて、国政と自治体の多数与党を口汚く批判させているテレビ・メディアの存在にも、嫌気がさしてきた。

一方で、お笑い芸人が、日本国民の真意を発言しているワイドショー番組も存在感を増してきている事が、せめてもの救いと言える。

インテリとしてのコメンテーターが少数派の擁護だとしてアナーキーな発言を繰り返し、インテリの正反対に位置する芸人達が多数派の代表として社会が混乱しないように良心を発信している。インテリ脳科学者が、時事問題に関して日本の芸人批判をしたのも、遠い昔の事のように思われる。

単一民族、単一文化、無宗教な日本国では、日本民族の少数派達が直接的・暴力的なテロ活動を起こすリスクは非常に低いと言えるが、青春の中での挫折もしくは学生運動だけが思い出とする人達が、言論テロとも言える手段で自身の欲求不満を解消しようと苦しんでいる姿は、とても惨めで哀れである。モニターに映し出される左派コメンテーターの顔は、暴徒の先頭に立つ過激派の表情そのものである。デモの場所を街頭からテレビ放映に移しただけで、未だに自身の悲哀の原因の全てを社会の穏健な多数派や成功者に帰する病理は、1960年代から1970年前半頃と全く変わっていない。

しかし、現状の日本は平和か混沌かと問われると、返答に窮するのも事実である。