改元・10連休と徳島銀行の病識:ゴールデンウィークと返済利息の過払い金

今年のゴールデンウィークは10連休。新天皇即位の日を休日にする法律により、銀行からの借金にかかる利息が増えた事を、私は全く知らなかった。町金以外の信用有る金融機関からお金を借りている人には是非、悪魔が済む銀行についての私の体験談を読んで欲しい。そして、社会正義とは何かを一緒に考えて欲しい。

では徳島銀行が悪魔に姿を変えて私に迫ってきた話を書き記す。私が何時ものように帳簿を付けていると、帳簿上の預金残高と銀行通帳に記帳されている残高とが一致しないことに気が付いた。返済予定表に記されている4月分と5月分の予定利息の合計が、実際に銀行口座から引き落とされた利息金額の合計と異なっていたのである。何かの間違いかなと思っている所に、偶然別の所要で訪問してきた徳島銀行の担当者である伊達優貴にその事を尋ねた。4月30日引落が5月7日引落になるだけで、4月と5月の利息を合計すると同じになるはずではと、彼も首を傾げていた。そして、また調べて連絡しますと言って、帰って行った。

その後、待てど暮らせど一向に連絡が無いので、こちらから連絡を取ってみたら、すっかり忘れていましたと言われてしまった。ところが、折り返しその担当者から連絡が来て言うには、自分が勘違いしていて、実際に引き落とされた利息が正しいと言う。こちらとしては、若い担当者ではどうも心許ないので、上司からの説明を求めた。

そして同日(6月10日)夕方、11日昼、14日昼の計3回その担当者は、前田公作、徳島銀行堺支店の次長と名乗る人物と同伴で訪問してきた。次長が説明した内容は、契約時の予定では今年4月は30日分の利息であるが、今年に限り徳島銀行は4月27日から5月6日までを休業日としたので、契約に基づき4月の利息計算は5月7日迄の37日分になる、と言うものであった。厚かましい程の連休を取った上に、その連休期間を前月に繰り込んで少しでも利息を多く請求していたのである。担当の伊達優貴も、当初は問題の本質をよく理解していなかった様だが、この数日間上司によってこってり絞られたのであろう。最後の日には、契約書に書いてあるだろうと、まるで闇金の取り立ての様に鬼の形相で向かってきたのが印象的であった。

では何故、徳島銀行には悪魔が棲んでいると思ったかを説明する。徳島銀行は、今年に限定した休日法が公布されたので、地域の経済活動を支援する為に4月30日を営業するなどと言う選択は考えず、休日法の権利を行使して4月27日から5月6日までの営業を停止したとの事。融資の契約では、当該月の末日が非営業日の場合には、その翌月最初の営業日までを利息計算の対象とするとなっている。その本来の趣旨とは異なるが、契約上の違法性は全く無く、今年度の契約上の4月は37日間で、その利息請求の権利を行使するとの返事だった。次長が言うには、徳島銀行本店から、予定表に記す4月30日で計算した利息を5月7日に引落とすなどは論外で、少しでも元金残高の多い4月を7日間増やして、利息が増える方策を取れと指示されたそうである。実はこの契約、休日法とも無関係であって、会社として月末を含めて連続2週間でも1ヶ月でも休業日と定めたならば、私との契約上の1ヶ月は50日にでも60日にでもなり、その分の利息は増える契約だそうである。闇金での利息の揉め事が、そのまま徳島銀行にも当てはまる。これは徳島銀行が、地域経済のリーダーではなく、ただ強欲な悪魔が商う金貸し業であることの証左である。

私が思うに、この問題をメディアが取り上げて広く議論される事を、銀行は避けていたと考える。今回問題にしている、月末の引落し日が非営業日の場合、翌月の最初に営業日に繰り下げる作為は、恐らく日本で貸金業の休みが日曜日だけの週休1日制で、振替休日の法律も制定される前の時代に始まったと考えられる。当然その頃は、インターネットも無く、全支店の口座から自動引落を行う事も出来なかったであろうし、多くの債務者が翌月1日の月曜日に現金を持って訪れていた姿が目に浮かんでくる。各支店の行員が債務者と会話を交わしながら、手作業で業務をこなしていただろう。しかし、それも今となっては遠い記憶の中の話である。コンピュータとインターネットが発達した時代に於いては、瞬時に全支店の口座に対して自動操作が出来てしまう。更に、他の金融機関との業務提携が進み、かつ休日の無いコンビニエンスストアのATMからでも入金ができる様になった現在、月末の返済期日を翌月の営業日に繰り下げる必然性はもはや無い。この場合は、月末に口座から自動引落が出来ない債務者だけを滞納とすれば良い。債務者は全て滞納者であると一律に決めつけた対応に怒りを覚える。今年のゴールデンウィークでは、多くの事業所に於いて従業員は交代で休みを取りながら連休中にも営業しているのである。なのに、銀行は月末から12日間も窓口営業を停止させた。その裏では、ご丁寧にも引落し期日に関係するコンピュータのプログラムを長期に繰り下げる書き換えを行っていたのである。その合理性を世に問うこともなく、悪意をもって周到に準備していたと言わざるを得ない。

テレビでは今、集団左遷という銀行マンのヒューマニズム溢れる職場と人物像を描いたドラマが放映されている。しかし、今回実際に徳島銀行の職員と言葉を交わす中で判った事は、中世以来言われてきた「金貸し業は卑しい職業」が一番実態を捉えた言葉であると感じた事である。安部政権は経済活動の活性化の一策として、皇室の慶事に合わせて大型連休を設定した。当然、連休中を通じて全国民が仕事を休んでは経済活動が停止する。そこでは、国民が交代で仕事を休むことにより、経済活動を停止させずに一層の消費行動を促す事が本旨であった。ところが連休に何が起きたかというと、町金以外の金融業者は連休中の窓口サービスを一斉に停止して、経済活動の円滑化などには一切参加しない決意を国民に示した。大型連休中は、債務者達が休まず働いて、公務員と金融業の家族達を慰安するのが当然だと主張する。バブルが弾けて窮地に陥った時に、公的資金をつぎ込んで救済した恩など、彼らは微塵も感じていない。日本経済の中心で働く銀行マン達は、日本国政府の期待を完全に無視して、天に唾を吐いた。

私個人にとっての徳島銀行は善であり感謝している。しかし、社会に対しては悪である。

銀行業は、男子一生の業とするには卑しすぎる。