高齢者の運転免許規制はアメリカの銃規制と同次元

先週19日東京都豊島区東池袋で、今まさに寿命を終えようとする高齢者、飯塚幸三(87歳)が、種を繋ぐ命のバトンを渡すべき相手であるはずの若き母子の命を奪ってしまった。彼は、その状況を説明する時、アクセルが戻らなくなったと言った。一方で事故直後には、真っ先に家族に電話をして事故対策を図っていた。認知症状は全く認められず、罪人がとる保身行動を確実に実行できている。そうである、犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪には親族間の特例がある。人間には、種の保存本能は存在しないのだろうか?

高齢者の運転免許と社会のリスクに関しては既に、2016年8月3日の稿で述べているが、未だその解決に向けての社会的・行政的行動は始まっていない。

自動車は銃と同じく、それを用いた殺人行為に掛かる時間は刹那であって、ひとたび動き始めると引き返す時間的猶予が無い。理性的に扱う事が非常に難しい道具である。幸いにして日本は他国と異なり、銃の規制に関しては十分に機能している。その一方で、自動車の規制に関しては不完全なまま放置されてきた。

加齢により自転車(じてんしゃ)にも乗れない程に身体機能が低下した者が、動く凶器「自動車」を平然と乗り回しながら、若い者にも負けていないぞと、うそぶいている。

高齢化社会の日本に於いて、自動車運転の行政的許認可は、個人的適正能力を測ることで判断する時代は終わった。合法的飲酒年齢の制限と同じく、運転免許も一律公平に年齢で制限すべきである。それは、日本国の安寧を願っての大往生である。