日本大学の内田正人元監督が不起訴となった裏には何があるのか?

昨年末、警視庁は日本大学アメリカンフットボール部の傷害事件に関して、内田正人元監督を立件起訴することを見送るとの発表がなされた。この犯罪に関しては、元監督らの犯行が鮮明に録画記録されていて、その映像を観た国民の全てが驚愕し絶句した、近年まれにみる凶悪犯罪であった。

事件後、多くの関係者が警察により事情聴取され、更にメディア取材も加わることで、その事件の全貌が明らかとなっていった。そして、誰しもがこの事件の主犯は内田正人元監督であると納得したのである。

しかし、警視庁の下した結論は、国民の納得とは真逆のものとなった。内田正人元監督が不起訴の理由とは、実行犯の録画映像だけで、主犯とされる元監督の自白が取れない、ただその一点に尽きるとの見解である。これがまかり通れば大変なことになる。犯人の自白が無ければ無罪とするならば、痴漢事件を否認する犯人は全て無罪である。

違うだろう。痴漢事件では、冤罪まで生まれているのに、被害女性の言葉だけで有罪にしているのである。何故かと言えば、それは冤罪リスクを許容してでも、卑劣な痴漢犯罪を裁きたいと皆が望んでいるからである。同様に、今回の日本大学が犯した傷害事件を、国民の誰もが裁きたいと思っている。なのに警視庁が、日本大学の内田元監督の犯した罪を立件しない理由として、警察組織に「見えざる手が働いているのではないか」との疑念を抱かざるを得ない。