大相撲の進化と退化

平成29年を振り返ると、二つの集団が崩壊した。一つは政治集団の民進党で、もう一つは相撲協会である。何れの崩壊も病理は金欲、権欲である。今回は後者である相撲協会を病理解剖する。一方で復興事業からリニア談合など集学的治療により延命を続けるゼネコン集団の予後も気に掛かる事案である。

今まさに、人間の集団である相撲協会は、多細胞生物の死と同じアナロジーでその終焉を迎えようとしている。そして、環境に適応した個体だけが次世代へと継代されていく。相撲協会の世代交代が進化なのか退化なのかは、今知るすべは無い。

大相撲は、スポーツでもなく、国技でも無い。昭和の時代では、黄金持ちの道楽であり、プロレスと同じく単なる興業であった。日本人にとって相撲取りになることが子供達の夢であるなんて事は、お世辞でもあり得なかった。

平成の時代になると相撲の世界に大きな変革が訪れる。何の知的技能も持たなくても、為替レートと物価の差から安易に大金を手にする事ができると知った、アジアの少年達が退去して相撲部屋に入門するようになった。協会や部屋のコントロールが効かなくなった特定国の集団、人徳や品格には目もくれず、ひたすら金欲に走る彼らの姿を、後援会や贔屓筋はどう感じているのかが知りたい。

驕れる者久しからず。昭和の時代、金と権力は後援会と贔屓筋の象徴であった。まもなく平成の時代が終わる。後援会と贔屓筋、相撲協会、力士集団、テレビの視聴者のいずれが驕り高ぶるのかは、必ず歴史に刻まれてゆく。日本国悠久の歴史の中で、大相撲は進化するのか退化するのか、じっくりと見守っていきたい。