極東大陸の勧善懲悪

今まさに極東アジアの社会規範は、その病にて終末期を迎えようとしている。それぞれの民族の一時代の社会規範が、確かな歴史の記憶として刻まれるのである。

道徳とは、人間が自我に目覚めた時に、その人生を終えるまでの行動の規範となる記憶である。コンピューターに於いての Operating System に相当する。起動からシャットダウンまでの全ての条件分岐命令を判断する。私が幼少期の記憶する勧善懲悪とは、テレビで放映される漫画や時代劇に登場するの正義の味方であった。今でも私の善悪を判断する規範となっている。この規範は、恐らく先の敗戦後に先達の中で、良心の回帰により再構築されたと思われる。

現在の極東大陸、則ち漢民族、朝鮮民族の道徳は、日本民族の道徳とは掛け離れたものとなってしまっている。極東大陸の幼児教育に於いては、悪とは日本民族であると教育し、司法と行政に於ける悪の判断基準は全て日本国に置いている。彼等のテレビに登場する怪獣や悪代官は、全て日本人なのである。極東の道徳である儒教を育んだ民族の末裔達は、今まさに病に倒れようとしている。

現在の日本国の近隣外交とは、病に伏せる極東大陸を介護し看取る事である。