ワイドナショーで三浦瑠麗と武田鉄矢が面白い

今朝、デレビ番組のワイドナショーで三浦瑠麗と武田鉄矢の掛け合いがとても滑稽であった。安田純平という人物が個人の価値観で国際紛争地域に足を踏み入れた事の評価や、駅伝で足を骨折した選手が這ってタスキをつないだ事の評価を、三浦は全て合理で断じ、一方の武田はひたすら情に訴えた。

ディベートと二値論理は相性が良いので、最初は威勢も良く意気揚々であったが、勢い余って我々祖先の感性や人生観に足を踏み入れてしまうと、忽ち議論は迷走して聞き手の共感を失ってしまった。息継ぎ無しの100m走は得意でも、持久走になるとヒステリックな呼吸になってしまうのは残念である。今更と言えば今更で、理想を合理で論じるのは真、人格・性格を感情で判断するのも真。しかしマクロな現実に於いて、多数の人間が関わる事象の評価をブール代数的に扱えば、無限ループに陥るのは必定である。

紛争当事者のプロパガンダ情報を伝聞するのではなく、自身で直接現地を取材する事には当然意義がある。ただし犯罪集団や関係諸国に利用されるリスクを考えるとセットバックした取材に留めておく事にも一理はある。今回の騒ぎは安田純平の人格・性格に問題があるだけで、自己責任論やジャーナリズムの価値を問いただす事案ではない。

アマチアスポーツに於いて、骨折してからも競技を続ける事は安全と健康の観点からは御法度であるのは自明。しかし予定調和の中からは感動の場面は生まれてこない事も事実である。失礼を承知で言えば、地味な長距離走を雁字搦めに運営していては人気が落ちて、気付けば視聴率が取れるスポーツ中継に取って代わられてしまったとなるだけ。

まさしく、人間のように身勝手で不条理な生物は地球上には存在しない。番組を観ている私の頭には、草枕冒頭の「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」が吹き出しとして浮かんでいた。