格差の膨張と収縮

2017年は膨張を続ける社会格差に、収縮の兆しが頻発する年と考える。膨張は嫌だが収縮も災い、邪悪が解き放たれる。個人間の格差、国家間の格差は、1945年以降拡大の一途を辿っている。人類が許容できる格差の限界に達するのも時間の問題である。限界に達すれば、暴動、革命あるいは戦争が勃発する。人類は過去に何度も格差社会の膨張と収縮を経験してきた。学習しないのではなく、本能がそうさせているとしか考えられない。

動物に見られる共食いは、生存本能が解き放たれる究極の状態でのみ発現する。しかし、人間だけはその欲望から、生存を脅かす臨界点よりも、はるかに低い閾値で人殺しをする。動物も縄張りを持つが、それは生存の為の必要最小限の縄張りである。一方、人間は欲望を満たすためだけの縄張り範囲が大きすぎる。膨大な人口を有する国では、近代史初頭に出現した奴隷制度を、自国内で再び具現化させ格差社会を拡大させ続けている。また極圏の寒い国では、歪んだ自国愛から再び領土拡張へと突き進む結果、経済的苦境に陥っている。さらに新大陸の国は、金融と知的財産と言う無形の世界の中で排他的支配域を広げ、暴君で居続けている。

今まさに世界空間で時間を変数とする格差関数、すなわち自国内の経済格差あるいは民族間、国家間の経済格差を全て包含する関数は、極大に達しようとしているのはないか。歴史を振り返ると格差が減少に転じる極値では必ずと言っていいほど、戦争が起きている事に不安を感じる。人類は未来に携わる事が出来る唯一の動物であるならば、争いや戦争でなく知を媒介変数として、次の格差の極値を迎えるべきである。