パンデミック収束前の行動制限緩和の議論
菅・百姓内閣が今月末の自民党総裁選挙を持って総辞職する事を発表したが、その百姓内閣がなんと最後っ屁に行動制限緩和の議論を初めた。
これまでも、経済学者のみならず国際政治学者までもが、武漢ウイルス感染症(COVID-19)対策を理由に、これ以上経済活動を止めるな、許容できない程に自殺者が増える、と叫んできた。また武漢ウイルス・パンデミックは、兵士のみならず多くの市民にも犠牲者が出ている状況を想像して「戦時下」と比喩されてきたが、例えとしてはお粗末である。何故なら、家、橋、工場などの社会資本は依然として破壊されずに存在しているからである。損害事実は、人的被害と経済活動の抑制である。
ならば、武漢ウイルス感染症による重症者数や死亡者数が一体どれ程悲惨な状況なのだろうか?その為にも、武漢ウイルス感染症が日本に上陸して1年半以上経った今、累積での感染死亡者数と自殺者数を正しく評価をしなければならない。
それなのに政府は、毎日の新規感染者数、実効再生産数、重症者数、死者数、そして医療逼迫度、ワクチン接種率を強調して、行動制限緩和の議論を進めようとしている。これでは、あまりにも無責任で卑怯な発表である。本当に国民が合意すべき事項には、武漢ウイルスによる許容年間死亡者数を含めなければならない。感染拡大時の死亡者数のみに注目するのではなく、年間に許容できる総死亡者数も、行動制限緩和の議論には重要である。
言い出しにくいだろうが、国民が許容できる年間死亡者数の上限を設定する事は避けて通れない。それも早急に。